看板転記
松屋本陣の跡
江戸幕府の交通政策によって東海道が整備されたことや、参勤交代制などにより、江戸~上方間を往来する人々は増え、旅人の宿泊所、休憩所も街道の随所に設けられました。
このあたりは、大磯宿と小田原宿の中間に位置し、大磯宿~小田原宿の距離が16キロメートルと長い上、押切坂、酒匂川を手前に控えていることから、間の宿(あいのしゅく)として休憩所が設けられ、大友屋・蔦屋・釜成屋など多くの茶屋や商店が軒を並べ、「梅沢の立場」と呼ばれて、大変賑わっていました。
その中心的な存在となっていたのが「松屋本陣」であり、参勤交代の諸大名・宮家・幕府役人など、特権階級にあたる人たちの休憩所に指定されていました。「松屋」であった和田家には、本陣を利用した人々の記録である「御休帳」が保存されていて、二宮町指定重要文化財になっています。
平成17年12月
二宮町教育委員会
※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。
思うこと
松屋本陣の跡について
だからなのか、あまり大仰な史跡はなく、看板もささやかなものたちでした。
そんな中で、とても驚いたのは、この松屋本陣の跡はなんと民家のお庭に立っていました。
よそ様のお宅のお庭にカメラを向けてもよいものなのかとも思いましたが、こういう民家の方の力もあって、東海道の記録と記憶が残されていくんだろうなと、実感しながら写真を撮らせていただきました。
まさしく、東海道の名残り。いつまでも残っていってほしいな、と思います。