看板転記
駿河の大地主 旧松永邸跡
当館フジホワイトホテルは、明治期、静岡県でも有数の大地主松永家の邸宅跡に建設されました。
松永家は、甲斐国(現在の山梨県)より駿河国富士郡平垣村に移住してきた、一世五左衛門を祖とし、六世好時(宝暦10<1760>~文政八年<1825>)のころより土地集積を進め、財力を蓄えたと伝えられています。
その財力を背景に、江戸末期には富士郡下の平垣村他六ケ村を領地とする旗本日向小伝太から領地の取締役を命じられ、邸内にその陣屋を構え、領主に代わって年貢のとりまとめを行う業務を担っていました。
明治元年には明治天皇の御東行の際に、屋敷の一室が小休所として使われています。
平垣村は、東海道の吉原宿と蒲原宿の中間に位置し、松永家も東海道に面していました。
安政四年(1857)に邸宅が新築された記録があり、武家風様式を残す貴重な建物です。その豪壮な屋敷と庭園が明治二十五年の『静岡県明治銅版画風景集』に紹介されてます。当館内にこの資料が展示されています。
昭和五十四年に富士市に寄贈し、現在は、富士市指定有形文化財として、富士市博物館西側の「ふるさと村」内にその一部が移築保存されています。
※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。
思ったこと
この写真を撮影した時のことを全く思い出せず、こんなときはストリートビュー!と思い、ストリートビューで確認しました。そして思い出しました。
ホテルと書かれた建物の壁に、こういう歴史を示す看板があったので、撮影したのでした。
ここでもまた後悔。
看板を撮影するときは周囲も撮らねば・・・・・・。全くなにかわかりません。
次回からはそうしたいと思います。
さて。
東海道を歩いているときに、松永家のような大地主の紹介をたくさん目にしました。
地方での大地主の存在の大きさを感じます。
フジホワイトホテル
フジホワイトホテルのページに
旧松永邸の様子が紹介されています。
そちらもあわせてご覧ください。
その後の調査
2020年4月 フジホワイトホテルのオフィシャル公式ページにリンクを貼ろうと検索したところ、サイトが見つかりませんでした。上記の楽天トラベルで検索したところ、『現在、新規予約申し込みを受け付けておりません』とのこと。
参考MAP
※地図の位置は、手作業で行っているため、若干のずれがあります。訪問の際は正しい地図をご確認ください