看板転記


東海道 名勝 左富士




東海道を東から西に行くとき、富士山は右手に美しい姿を見せますが、この辺りは松並木の間から左手に見えることから“左富士”と呼ばれて、街道の名勝となりました。
浮世絵師安藤広重が描いた風景画「東海道五十三次内原」は左富士の名画であり、彼の道中日記に「原、原は富士山容を観る第一の所なり、左富士京師(京)より下れば右に見え、江戸よりすれば反対の方に見ゆ、一町ばかりの間の松の並木を透して見るまことに絶妙の風景なり。ここの写生あり」と記されています。今日、周辺には工場、住宅が建ち並び、浮世絵に見るのどかな風情はありませんが、わずかに残る一本の老松は往時の左富士をしのぶものとして、大変貴重です。
昭和六十一年二月一日  富士市教育委員会

※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。

景観重要樹木 旧東海道左富士のマツ


指定番号  第3号
指定年月日 平成23年2月9日
指定理由  太い幹が歴史を感じさせ、往時の東海道左富士の松並木の風景をしのばせる貴重なな樹木である
富士市
※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。

名勝左富士


右方に見える黒い山は愛〇山である。左に富士山を眺めながら馬に乗った旅人が行く。前方の馬は背の両脇に荷物を入れたつづらを付け(三七・五kgずつ)、その上にふとんをしいて旅人を乗せている。この方法はのりじりといい賃銭がかかった。手前は馬の鞍の左右にこたつのやぐらのようなきくみを取り付け、それは三人の旅人が乗っている。これを「三宝荒神」といっていた。

※看板の文字を転記しています。誤字脱字はご容赦ください。

思ったこと

「左富士」とわざわざ言葉を作るほど、江戸から京へのぼる(当時)時、富士山が左に見えるのは珍しかったとのこと。
茅ヶ崎の「左富士」は曇り空で富士はのぞめませんでした。
今回は富士山はくっきり見えます。
ただ現代は富士山の手前に工場が。
時代と共に風景がかわっていくのはしかたがないこと。
こうやって記録を残してくれているのは、ありがたいですね。
左富士とぐぐって見ると
もう一か所、いかにも現在の左富士というのが、ヒットします。
それは「新幹線の左富士」です。
新幹線で東京から大阪へ向かうとき当然富士山は右側に見えますよね。
それがほんの少しだけ左側に見える場所があるそうです。
ぜひ、調べてみてください!


※地図の位置は、手作業で行っているため、若干のずれがあります。訪問の際は正しい地図をご確認ください

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