14昭和放水路より東側の海岸浸食対策

014原宿 看板

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看板転記


昭和放水路より東側の海岸侵食対策

富士海岸の地形変遷

●沖積世初期(約200年前)、富士、愛鷹山山麓や狩野川の谷沿いは海が侵入していました。富士川が吐き出す砂礫が海水の作用で東に移動し砂州をつくり、次第にこの海を埋め始めました。
●砂州は成長を続け、ついに愛鷹山との間に潟湖を形成しました。潟湖は四周から流入する川によって次第に埋め立てられ、縮小化するとともに沼沢化したのです。
●現在では東田子の浦の北方が埋め残されて沼沢地(ヨシの原野)となっているだけで、他は水田となっています。また、沼沢地は排水工事の進展で急速に縮小化しています。
このようにして、富士の海岸が作られてきました。

砂浜の侵食状況

●ところが、田子の浦港の防波堤等で砂の流れが止められるなどして、海岸線が侵食されてきました。
砂浜がなくなると、波はますます勢いを付け堤防を乗り越えたり、堤防を壊したりします。しかし、ブロックばかりを入れると放水路の西側のように波打ち際のない海岸になります。

養浜工法

●富士海岸の養浜工は、元々富士川から流れてきていた土砂を人工的に投入して、自然の力を利用して砂浜を復元することです。
放水路の位置で砂利を入れると、それより東側の砂浜の侵食を防ぐことがで(※原文は出)きます。また、放水路のところではコンクリートブロックを砂浜に埋めて守っています。

自然の力は想像を越える!

昭和54年10月、台風20号は富士市柏原新田に大型貨物船を打ち上げました。海岸事業は過去の被害などの経験に学び調査・研究を積み重ねています。
ブロックが無く、防災上も安全で、波打ち際でも遊べる海辺を作りたいと考えています。その一つの方法として養浜工法が期待されています。

思ったこと

日本列島のカタチ

この看板を見て、思ったこと。
日本列島のカタチがかわるのって、あたたかくなって北極の氷がとけて海水面があがったり逆に氷河期が来て、海水面が下がったりと気候の変化が大きな原因だと思っていました。確かに、それも大きな原因なのだけど、ここにあるように「侵食」の力も大きな原因の一つになるんだということを改めて実感しました。
いまこの目の前に広がる砂浜もいつか違った風景になる。
広重の時代と大きく変わったのは、人工的な埋立だけでなく、自然の力も大きかったのですね!



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